資料。。。。「日本経済が「国民経済」ではなくなる日 」

食糧生産と経済界との関係性および食料生産一人当たりの労働報酬と平均賃金との関係性それと食料生産と失業」について
「日本経済が「国民経済」ではなくなる日 」  小泉政権の足跡
戦後の日本という国家や経済をどう評価するかについては様々な見方があるだろう。

国家の対米従属姿勢や昨今の新自由主義的経済価値観を容認するにしろ否定するにしろ、一部のイデオロギッシュな勢力を別にすれば、それが国民経済ひいては国民生活にとって好ましい選択だからとの含意は共通していると思われる。

米国の意向に唯々諾々と従うのも、それが国民生活の基盤である日本経済の維持発展に欠かせないと認識しているからであり、サプライサイドの経済政策をおかしいと思いながらも受け入れてきたのも、それが成熟期に入った日本経済の再生にとって必要な手段だと考えたからであろう。

私自身も、現状の枠組みのなかで、貧富の差はたっぷりとありながらも、大多数の日本国民が、将来の破綻を憂慮することなく、日々の活動にいそしめる方策とは何かを考え書き込みを行ってきた。

そのような方策を考えることができる前提としては、統治機構は与件の経済基盤のなかで国民多数の福利向上を志向し、経済主体も、“資本の論理”を前提にしながらも国民国家内存在としての自己の役割は自覚しているという条件が必要である。

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日本経済が「国民経済」ではなくなる日 - “金融資本の論理”が支配する日本とは - 投稿者 あっしら 日時 2002 年 10 月 04 日

敗戦で壊滅的状況に陥った日本は、政治的に米国に従属することで、米国経済の利益のためとは言え、米国から金融及び交易の支援を受けながら、官民一体となって国民経済の復興と発展に取り組んできた。

高度成長期までは“通貨(外貨)不足”であり、そのような条件のなか、大蔵省-日銀-商業銀行がそれこそ一体になって資本制経済の血液循環活動である金融活動を担ってきた。

それが「護送船団方式」・「日本株式会社」と言われる所以であり、それに政治的思惑が入り込んだり、伸びるべき芽が無惨に刈り取られこともあるだろうなどのかたちで歪みをもたらしたことも否定しない。

しかし、実質的に世界最高の産業国家になったことや世界最高レベルの一人当たりGDPを誇っていることを基準に評価すれば、それが国民生活の向上に大きく貢献したことを認めざるを得ない。

日本経済が“おかしくなった”のは、「戦後の総決算」を旗印とした中曽根内閣の成立以降である。

中曽根政権は、それまでの産業国家及び統制経済という国柄を、“新保守主義国家”及び“新自由主義経済”に向けて大きく舵を切った。
(明治維新以降国民と国家が営々として築き上げてきた交通体系(国鉄)と通信体系(電電公社)を民営化というかたちで売り払った)

お金でお金を稼ぐ経済活動も良しとされるムードが高まるなかでバブルが形成され、そして、当然のようにバブルは崩壊し、その後に続くバブル反動不況も銀行救済(資産価格下支え)を主眼とした政策しか実行せず、低中所得者に大きな負担増を強いた98年からは本格的な「デフレ不況」(デフレ・スパイラル)に陥り現在に至っている。

端的に言えば、国民がより豊かに生活していくための仕組みとしての「国民経済」という考えから、資本(経済主体)がストレートに利潤を追求するための仕組みとしての市場原理を基礎にした“自由主義経済”という考えに転換したことで、日本経済は、一時的に仕掛け花火の華やかさを見せただけで、その後は沈滞を続けているのである。

国民大多数の生活がより豊かになり国際交易で黒字を稼ぎ続けることで、資本(経済主体)も利潤を得続けることができるという「近代経済システム」(資本制経済)の根源的論理を忘れ去ったことが、85年以降の日本経済がおかしくなった根本要因である。

(忘れ去ったという表現はそれまでは自覚していたということになるが、無自覚的に認識していたというレベルだったと思われる)


小泉政権は、忘れ去った「国民経済」的論理を、今、捨て去ろうとしている。

米国政権の意向を受けたかたちで、銀行が財務的な余力がないなかで不良債権処理を加速化し、数多くの銀行が一時国有化される事態を招こうとしている。

貯金業務も担っている郵便事業を民営化しようとしている小泉政権だから、一時国有化した銀行をそのまま国有で営業させるとは到底思えず、旧長銀や旧日債銀などと同じように民間資本に売却することになるだろう。

国内銀行が総崩れになっているのだから、購入する民間資本は外資になるはずである。

幸か不幸か、世界同時株安が進行している現状では、日本の銀行は魅力的な有力投資先となる。

米国は、国民経済として赤字であり連邦政府も厖大な債務を積み上げているが、金融資本は、たっぷりと通貨を保有しており、有望な投資先を世界中で探している。

おそらく、米国系を中心とした金融(投資)経済主体が、国費を厖大に費やしてきれいにした銀行(メガバンク)を買うことになるだろう。

過剰債務を掃除されたメガバンクを外資が二つでも手に入れれば、残ったメガバンクは財務状況が悪化しているのだから、金融市場で圧倒的な競争力を発揮することになるだろう。

昨日アップしたが、メガバンクが外資によって支配されることは、大手産業資本のいくつかが外資によって支配されることとは質的に異なる影響を国民経済及び国家に対して与えることになる。

国民経済の大半が“外資メガバンク”の意向に左右されることになり、国家の経済・金融・財政・民生政策が“外資メガバンク”の意向に左右されることになる。

ざっくばらに言えば、“資本の論理”のなかでも格別剥き出しのものである“金融資本の論理”によって、日本経済と日本国家がコントロールされるようになる。

個々の産業資本を支配せず、日本国家機構の中枢を掌握しなくとも、日本全体を“金融資本の論理”で動かせるようになるのである。

それからそこそこ自由に振る舞えるのは、トヨタなどの「完全無借金会社」だけである。

[経済主体]

● “金融資本の論理”がそうしたほうが価値があると判断した企業は、金融のさじ加減で破綻させることができる。破綻させた企業を、お仲間の投資家グループが破格値で買い取り、“解体作業”をして利益を上げるのも自由だし、再生して収益の果実を得ることもできる。

● 生き残りを許された企業も、資金調達の金利負担は“金融資本の論理”によって過大なものになる。債務を履行するために、賃金を下げたり、配当を抑制する策も採ることを強いられる。価格政策や販売政策も、“金融資本の論理”に差配されることになる。


● 突き詰めれば、余剰資金を潤沢に保有していない多くの企業の生殺与奪権が、“外資”メガバンクの手に握られることになる。


[国家]

● 国家自体は経済活動を行っているわけではなく、根底的には産業活動の成果を様々な手法で税として吸い上げることで維持されている。そのような立場である国家の政策は、“外資”メガバンクが経済の大半を支配すれば、“外資”メガバンクに意向に添ったものに“自動的”になる。

● “金融資本の論理”は、通貨の価値が高い状態を好ましいと考えるので、通貨の価値が高いデフレ状況をいとわない。

さらに、インフレに転換しても、実質金利がマイナスという“愚かな”貸し出しを行うことはない。日本経済を再生させる一つの手法であるインフレに転換してマイナス金利を実現するという金融政策は採れなくなる。

日銀がどのような金融政策を採ろうとも、経済社会にその政策を浸透させるのは商業銀行であり、“外資”メガバンクがその役割を担うことになれば、金融政策全般が“外資”メガバンクの意向次第で不全に陥る。


● 既に危機的な状況にある国家財政も、これまでのような「国債サイクル」は維持できなくなる。銀行は80兆円の国債を保有していると言われているが、今後は毎年100兆円を超える国債が発行される。

“外資”メガバンクが、日本国債を引き受けるのか、米国国債を購入するのか、EU諸国の国債を購入するかは、その時々の“外資”メガバンクの判断になる。

現在は、過剰債務のなかで預金の運用先がないため日本国債に資金が向かっているが、過剰債務を国費で解消してもらった“外資”メガバンクが日本国債を買い続ける経済メリットはない。
(借換債による“返済”を受け入れるのかどうかも、“外資”メガバンクの意向次第となる)


● “外資”メガバンクは、国家に対する債権を重要視する。世界経済が同時的に不況になるなかで、金融資本が資本を増殖する手段として国家からの利息取得に比重を移すと予測する。

古来より銀行家は、戦時を中心に国家に貸し付けを行うことで巨大な利益を上げてきた。

破産が許されない国家への貸し付けを利益源とするようになれば、インフレは極力は抑え込み、国家から得る利息や返済される元本が目減りしないようにする。


● 国家への貸し付けを大きな利益源と考えれば、国家が債務をきちんと履行することを求める。国債のデフォルトやインフレは許さず、国民生活レベルが下がるのもお構いなしに、貧困層までを含む増税政策を国家に強いるようになる。
(国有銀行のまま営業していくのなら、国債は借換債でつなぎながら、資金需要に応じた日銀の国債買い取りや買いオペでしのいでいくことができる)


小泉政権は、竹中という一民間経済学者を先兵として使って、日本経済及び日本国家をお金でお金を稼ぐ“金融資本の論理”に委ねる道を切り開こうとしているのである。

国有化銀行を「短期間では売却しない」という政治的国民的コンセンサスの形成が急務 投稿者 あっしら 日時 2002 年 10 月 05 日

「論議・雑談3」ボードに書き込んだ内容の若干修正版:


経済問題がまさに政治問題になるという局面を迎えた。

第一段階の公的資金注入に伴う「銀行国有化」そのものは、悪い政策ではない。
(私もそれを主張している)
問題は、「有力銀行国有化」という一大転機を国民経済の再生にどう活かすかということにつきる。

小泉政権が推し進めようとしている「国民経済破壊シナリオ」が現実になるまでには最低でも1年の猶予期間がある。
(あと2年ほどは総選挙を行わなくていい政治条件にあるから、それまでには決着をつけようとすると思われる)

その期間に政治がどう動くかで、「国民経済」が死ぬか生き残るかが決することになる。
いったん売却した、しかも、政府が売却した銀行を“不都合”だから戻してくれと主張すれば、それこそ国民の生命と安全が脅かされる事態にもつながりかねない。

緊要なテーマは、国有化する(した)銀行について、「短期間では売却しない」、もしくは、「国鉄や電電公社のように長期的な株式放出を通じて民営化する」といった多くの人が同意できるレベルでの政治的国民的コンセンサスの形成である。

お金でお金を稼ぐことが内国人の手で大規模に行われても災厄が生じるが、それを外国人が行うようになれば、日本と日本人の多くが厳しい生活条件に置かれることになる。

メガバンクの外資化で“金融資本の論理”が覆うようになれば、日本経済が世界経済支配層の「お金を稼ぐ“道具”」と化することになる。
生活基盤でもなく愛着もない日本や日本国民がどうなるかは遥か彼方にある判断基準となる。

「自由主義と社民主義」や「右翼と左翼」というつまらない次元の対立ではなく、国民の生活基盤である日本経済を「国民経済」としてきちんと維持するのか、それとも“新自由主義”というルールに身売りするのかという対立軸で政治勢力が色分けされなければならない段階を迎えたのである。
2007/12/30
投稿者: 早雲

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